印刷機械業界にあって互いにライバルではあったが、後に大阪と東京で協力して双方代理店となることも多かった。友人である彼と二人で、ドイツのメーカーを廻った帰路、パリの定宿に滞在した時のことである。友人は写真には全く興味がないので、彼と朝食の約束時間前に散歩しながら写真を撮ることにした。
朝日を浴びないうちに、宿泊している右岸のソルボンヌ近くから、ジュヌビエーブ丘の西側を南へ歩こうと考えた。ローマ時代には南北のメインストリートであるサンジャック通りである。左岸にあるサンジャックの塔からサンティアゴ・デ・コンポステーラまでも聖地巡礼のひとつのルートであり、サンジャック通りはその出発点の大通りであった。Nikon F2に、これも中古で買った28mm F2.0を付け、Kodakのモノクロフィルム、24枚撮り1本入れ、しかも陽の上がる前の時間帯であるが、敢えて2/3アンダーに固定して全て撮ると決めた。先ずはホテルの部屋よりソルボンヌ大学の屋根を入れた北東方面に向けてシャッター1回。彼との朝食の約束時間まで45分しかないが、できればモンパルナス駅か、ヘミングウェイの「移動祝祭日」に出てくるカフェレストラン「クロズリー・デ・リラ」まで歩いてから帰ろうと考えた。
ローマ時代にすで幹線道路であり、フォーラムのあった場所に面した通りで、定宿前の通りであるキュジャス通りを右に進み、その時代のカルドと呼ばれた南北中央幹線であったサンジャック通りに出る。 これを右折して坂を上るようにパンテオン前のスフロ通りを渡り、サンジャック通り(中世はパリ最大のメインストリート)を南へ向かう。途中、写真家 大島洋氏の著書「アジェのパリ」は、このレストラン「Port de Salut」を探すことから始まる。彼は[救いの港]と訳していたような記憶があるが確かめていない。確実に100年以上前からこの場所にあり、看板、外観もおおよそ変わっていない。サンジャック通りを南に南に下りながら、途中フィリップ・オーギュストの城壁跡を右に見て、ルイ13世のアンヌ王妃によって建設されたヴァル・ド・グラース女子修道院前を通り、ポルトロワイヤル大通り(モンパルナスブルーヴァードに繋がる)に出たが、帰路の時間を考えると、モンパルナス駅どころか、クロズリー・デ・リラまでも行く時間がない。 仕方なく、次のピエール ニコール通りを再び右折して復路とした。自然にサンジャック通りに合流する道に入る。この道の途中にある壁の絵がフェイスブックのタイトル画像である。同じサンジャック通りを北上して、最後に、ナポレオン三世のパリ大改造で作られたスフロ大通りからパンテオンを撮って、ホテルに戻る。帰国してヨドバシカメラから現像が上がってきたとき、直ぐに同店のライティング装置で確認したら、いい感じのアンダー気味の写真になっており、狙い通りと思った。しかし人が入っている部分は除いたが、今ビジネス旅行の途上で見た森山大道氏寄りの写真になってしまったように感じた。勿論、全く足元にも寄らないが、、戻ったホテルは地下1階で、その壁にあるパリのモノクロ風景を見ながらでシンプルな朝食を取った。